2013/02/06

「私が写真を撮る理由」

今日、Twitterのあるフォロワーさんがなぜ自分が写真を撮り始めたのか
ってことをブログにしたためていたので、私も10年前を思い出してみよう。

10年前、自分は高校を卒業し、遠い大阪の地で新しい毎日に胸を躍らせた。
見るものすべてがそれまでの自分の価値観では計れないことばかりで、
「井の中の蛙、大海を知らず」って言葉はよく出来た言葉だななんて思いながら、
毎日が楽しくて、新鮮で、驚きに溢れるスタートだった。

大学に入学すると、誰もが一度は「サークルに入ろうかしら」なんて思うし、
夢色のキャンパスライフにサークルは不可欠と雑誌にも書いていたしということで、
自分も色々と想いを巡らせながら、4月の勧誘まっただ中のキャンパスを歩いた。
軽音楽部もいいな、テニス部もいいな、飲み会サークルってなんだ!?なんて
思って軽音楽部のテーブルに話を聞きにいったり、女子の多い部に目がいったりと
それはどこにでもいる一般的大学生そのものだった。

そんな自分に声をかけてきたのが、まだ出会って4日くらいの友達だった。

「写真部がいいらしいよ」

今となっては何がよかったのかはわからないけど、それまで写真部という
選択肢がなかった自分にはとても新鮮で、そう言えば高校のときの彼女が
写真部だったなーなんて思いながら、写真部のテーブルに足を運んだ。
そこにいたのは見るからにチャラい大学生の代表みたいな部長だった。
最初は警戒したけど、見せられたモノクロ写真は、たった2色にも関わらず、
これまでに見たことのない奥行きがあり、広い写真だった。

それから2週間後、新入部員として挨拶している自分がいた。


とまぁこんな感じで写真部に入部したわけで、それから一眼レフカメラを
買って、モノクロフィルムで撮影をして、現像する毎日が始まった。
初めは何を撮っていいかわからなかったし、被写体はど真ん中やし、
奥行きもシズルもあったもんじゃなかった。一回目の部展では、
無難な写真作品となり、明らかに周りの落胆も感じたし、期待されて
いたんだなということも感じた。
#机上の宙
















次の部展では友達に“PEACE”と書いたスケッチを持たせた。
そこには背景は何もなかった。壁に立った少年が“PEACE”。
#delacroix






















自分の中での写真の使い方がわかった気がした。
その日から写真は作品ではなく、道具になった。

ある先輩は、

「写真ってのは真を写すって書く、そこに嘘はつけないんだよ」

と言ってた。そう言う考え方もある。でもだからこそ、写真は道具としての
価値しかないと思うようになった。自分が望むそのままを写す道具。
大事なのは自分が何を撮りたいか、どう撮りたいか、そして何を伝えるか。
それから自分の作品にはすべて意味が込められるようになった。
幸い、自分は絵心がないから、イラストや絵を描くことは出来なくて、
でも頭の中にはその景色があって、それを具現化するのに写真という道具は
とても親切だった。構図を決めて、ボタンを押すだけ、とても簡単。

写真のいいところは、絵を描けない人が絵を描けるようになること。
言葉では伝えられないものを伝えられるようになること。

そうやって撮り始めた写真はものすごい枚数になって、今じゃきっと忘れて
いった写真もたくさんあるはず。何千枚、何万枚という写真やフィルム。

そして最後に選ばれた24枚。

これは自分のこれまでの人生の中で、一番大切な宝物でもあり、
自分の大学生活そのものでもあり、そして自分でもある。

これからきっと全紙サイズで写真を焼くことなんてそうないだろうけど、
でもやっぱり、画面の向こうに置いておくんじゃなくて、たまには焼いて
額に入れて飾ってやったりしてみたいね。

私が写真を撮る理由は自分を誰かに見て欲しいから。
そして同じ景色を見て欲しいから。

おしまい。
http://goo.gl/gPDTD


#cosmoses & a girl 1/3